GDPが下がって何か問題あるの?
こんにちは。
熊谷けいじです。
初回の記事で、100日連続でブログを書くという誓いを立てましたが、4記事書いたところで息絶えていました、、、笑
今日からは、毎日更新を目標に、まずは合計で100記事書きます!
圧倒的な量をアウトプットすることは大事なのでね。
さてさて、最近は、コロナウイルス感染を防ぐための活動自粛にともなう、暗いニュースが多いですね。
景気が悪い、という記事も連日のように目に入ります。
この記事では、「感染拡大に伴い個人消費や設備投資などが落ち込んだ結果、GDPが戦後最大の下落率で落ち込んだ」ということが説明されています。
ではなぜ、GDPが落ち込むとニュース記事になるのでしょうか。
というかGDPってなに?
GDPについては、複数の側面から説明することができます(※)が、一つの側面から単純化して言うと、「GDPとは国内でどれだけのお金が使われたか」というように説明できます。
※詳しく知りたい人は、「三面等価の原則」でググってみてください。
この支出の面からみた場合、支出する主体は、①民間消費者、②企業、③政府、④海外の大きく4つに分けられますが、ざっくり言うと、①が6割、②③が2割ずつ、というイメージです。
つまり、われわれ民間の日常的な消費活動が60%を占めており、GDPの増減を大きく左右しているわけです。
そのため、コロナの影響で娯楽をはじめとする消費活動が制限され、GDPが大きく下がる、という現象が発生しています。
GDPについては何となく理解できたような気がしますね。
でも待ってください!なんでGDPが下がったらマイナスなイメージがあるんだろう?
食費や通信費をはじめとする、生活に必要な最低限の消費は行えています。
このままでも全然大丈夫なんじゃないの?
ここには、資本主義経済を採用していることが関係しています。
資本主義経済では、資本(=お金)をたくさん持っている人が、大規模に投資することで、自分より小さい資本を持つ人をけちらしていく、という市場原理が働きます。
資本を持たざる者は勝つことができない。
だから、お金が絶対的に力を持つんです。
それが色濃く反映されたものが、GDPだと思っています。
「GDP=どれだけたくさんのお金を動かしたか=どれだけ経済の規模、資本の規模があるか」、という見方ができると考えています。
GDPが高ければ、低い国に対して優位に立てる。
国家の安全保障の問題も絡んできます。
お金がなければ、武器や先端技術の開発ができないため、武力も低くなります。
今は戦争なき時代、というイメージがありますが、中東など地域レベルの紛争は常に発生しています。
人々が前提とする思想が異なる限り、争いが完全になくなることは難しいと考えています。
だから、いざというときのために国民を守るためにも、GDPを高い水準で保ち、他国に優位性を持ち続けることは重要と考えられています。
このような背景もあり、GDPを高めること=正義、という認識が世の中には存在しています。
(他にも、インフレ率との関係性や、金利との関係性に起因した「GDPは成長しなければならない」理由はいくつかあります)
でも、僕はGDPには致命的に欠けている点があると考えています。
それは、「自然にとってどれだけ便益のあることをしたか」という点です。
GDPは、100%人間の活動だけに焦点を当てたものです。
そのため、GDPを高めることは自然にとってメリットがなく、むしろデメリットばかりです。
経済活動とは、基本的には「自然の資源を採取する」⇒「加工する」⇒「消費する」という構造になっています。
GDPの世界観では、とにかく最後の「消費する」を最大化することを考えます。
でも、それにより自然からはたくさんの資源が搾取されます。
その搾取のペースが、自然の自己回復力の範囲内に収まっているうちは問題ありません。
ただ、産業革命以降は、急速なペースで人類の消費活動が活発化し、自然の自己回復力を超える生産・消費活動を行っている状態になっています。
これは、完全にGDP第一主義で経済活動を行ってきたことの弊害です。
じゃあ、本当の意味で持続可能な状態を作ることはどうすればいいのか?
僕は、「地球全体での全体最適の実現」を目指すことが解になると考えます。
人も自然も、自国も他国も、一つの同じ船に乗った仲間という認識で、全員の総和が一番大きくなるような仕組みを作ることです。
そうすれば、自ずと人間同士で争うことの不毛さや、自然をないがしろにすることの危険さを感じることができると思います。
コロナウイルスは、人類がいずれ直面する課題を、先取りして発生させている出来事と言われています。
このような出来事で、GDPが短期的に上下することにはあまり本質的な意味はないと思います。
よりよい未来を作るには、よりよい切り口で未来を描くことが大切だと思った出来事でした。
see you tomorrow.