人と自然をつなぐ

熊谷けいじのブログです。

あなたは鯨を食べたことはありますか?

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僕は、一回だけ食べたことがあります。

お刺身だったのであんまり味がしなかった記憶しかありません。笑

 

こんにちは。

熊谷けいじです。

 

今日のWWF会員向けニュースレターに、こんな記事が載っていました。

uk.whales.org

 

日本の近海で、観測史上最大数のクジラが見つかったそうです。
このHPはWDC(Whale and Dolphine Conservation、1987年にイギリスで設立)という反捕鯨団体のHPなので、彼らの活動の成果を表しているのでしょうか。

 

一方で、日本では、2018年のIWC国際捕鯨委員会)脱退に伴い、2019年7月から「商業捕鯨」が再開され、食肉を目的とした捕鯨が可能になりました。

 

捕鯨問題ってよくニュースになっているけどよく知らないので、論点を整理したい!と思って色々調べてみました。

 

 

捕鯨問題で対立する意見

まず、なぜ日本は商業捕鯨を再開したのでしょうか?

主な理由は、伝統的に捕鯨を食している地域があり、それと地域産業(捕鯨業者、飲食店)が結びついているためと言われています。

 

確かに、捕鯨船を持っていて、代々捕鯨で稼いできた家系からすると、捕鯨の禁止は生活ができなくなるので死活問題ですね。

 

 

一方でなぜ欧米諸国は捕鯨に反対しているのか?

そこには、動物愛護的な思想が根底にあります。

アメリカを中心とする欧米諸国には、民主主義、黒人、女性、LGBT、、、と多様性・人権を認める流れがあり、その延長に動物愛護が来ているといわれています。

鯨はその中でも、体が大きく比較的知能が高いといわれ、象徴的な動物として挙げられています。

 

絶滅の危機に瀕しているから保護すべき、という意見もありますが、日本では水産庁の管理の下、年間の捕獲可能頭数も定められており、捕鯨は持続可能な仕組みが構築されています。

www.jfa.maff.go.jp

 

これらの本質的な論点とは他に、政治・経済が絡んだ構造的な背景もあります。

 

捕鯨問題の構造的な課題

まず、わざわざ日本が諸外国の批判を浴びながらも、捕鯨を続けることとなった構造的な課題として、①議員の票確保、②官僚の予算確保の2点があります。

捕鯨が盛んな地域の投票を獲得するには、捕鯨を認める必要があります。

民衆の短期的な希望に沿うことが、民主主義の特徴です。

また、政策立案を裏で支える官僚組織の構造としては、既に持っている予算=既得権益を自らなくすことは心情的にも壁があると言われています。

 

歴史的な背景も関係しています。

20世紀当時、欧米諸国は鯨油を目的に捕鯨していましたが、現在は植物油で代替しています。戦後食糧難の日本はたんぱく源の確保を目的に捕鯨していましたが、経済成長を遂げた現在は、食肉の輸入で代替しています。つまり、捕鯨は昔から行っているため伝統的なものではあるが、利用が拡大したのは歴史的背景による一時的な変化ともいえる。実際、日本の捕鯨数は60年代をピークに減少し続けています。

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水産庁HPより:https://www.jfa.maff.go.jp/j/whale/attach/pdf/index-38.pdf

このような観点からは、食品加工技術が進み、経済的に豊かになった日本で、本当に捕鯨が必要なのか?ということは疑問視されますね。

 

■ではどうすればよいか?

確かに、日本が鯨を食べなければいけない理由はない。

正確に言えば、捕鯨関係者の方の生活を担保することができれば、伝統的だからと言って絶対的に続けなければいけないわけではない。

 

しかし、いずれにせよ人間は、動物の命を食べなければ生きていけない。

全ての生き物は、食べて、食べられ、他の生き物と繋がって生きています。

そう意味では、鯨だけを特別視して食べない理由はない。

インドでは牛が神聖視されていますが、それを他国に押し付けることは受け入れられないでしょう。

 

だから僕はどっちでもいいと思いますし、あえて日本が捕鯨をやめなければいけない必要性はないと思います。

 

■最後に

一番の問題は、互いの理解の浅さだと思います。

それは単純に、日本の英語での発信不足によるコミュニケーション不足ということもありますが、「自分とは異なる生き方を認める姿勢の無さ」が大きい。

 

相手は何を大切にしていてそこまでこだわっているのか?

自分と本質的に違う点は何か?

それを受け入れる努力はできるか?

 

一方の立場に凝り固まった頑固な思考を抜け出せば、双方が合意できるもっとクリエイティブな解決に向かえると思います。

 

対立する社会課題の本質は、人間にある。

 

 

ではまたお会いしましょう。